ずっと住んでる町で迷うほうがずっと怖い.
出典: 高山羽根子「オブジェクタム」
あ,どうも.3回生の鈴木と申します.
忘年会を通して.上記の「オブジェクタム」のこの一文を痛感した.
私,鈴木は忘年会と言うものに参加するのは,今回が初めてであった.
理由は単純でこれまではコミュニティに属していなかったからだ.
しかし,この3回生後期から”研究室”というコミュニティに属することになり.
”忘年会”という私にとっては目新しい文化を体験させていただけることになった.
先に結論を言うと,楽しかった.
調べたところによると忘年会の意味は.「年末に、その1年の苦労を忘れるために行う宴会 」らしい.
だが私は普段話さない先輩と話したり.普段聞けないことを聞けたりと
本来の忘年会の目的とは逸れたことをしてしまったが,終わった後,大変充実感に溢れていた.
と同時にとてつもない恐怖を感じた.
自分が知らないところで毎年忘年会を通してこの独特の愉楽の享受が行われている,
そして自分はそれを体験し損ねてきたことに気づいたのである.
コミュニティと言っても,研究室以外にもたくさんある.会社,サークル,部活などだ.
またこの文化は.堺市中区に限った話ではない.
大阪でも,関西でも,日本でも,もしかしたら世界でも行われているのだ.
冒頭で引用した「オブジェクタム」は,町で迷っただけだが,
私はずっと過ごしてきた”社会”の中でまた取り残されたのだ.怖い.
“社会”とはなんなのだろうか.一つ最近読んだ本がヒントになった.
ぼくにとっての「社会」とは,自分が他の人間とつながりを持ちながら,
自分自身の可能性を確かめていく場だとイメージされている.
そして,「社会」は,ぼくたちが生きていくことを息苦しくするような性質とを
「合わせ鏡」のように持っていると感じている.
出典:菅野仁「愛の本」
なるほどと思った.そして社会に自分を開けて行くべきなんだと感じた.
おそらくこれが”幸せ”につながるのであろう.
この本によると”幸せ”は,
”自己実現をもたらす活動”と”他者との交流”の二側面によって成り立っている.
後者に関しては今述べた通りだが,前者に関してのヒントを
瀬田先生が忘年会の締めで教えて下さったので,
それを共有して結びとする.
””やっても無駄と思うか。
やったらいい事あるかと思うか。
というどっちの思考をとるのか。
できるかできひんかで考えるのか。
ちょっと背伸びしてやれることをやるか。
今からの伸び幅をどう作るか。””
ではでは...